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日本の独楽発祥

 日本も独楽発祥の地? 2005年1月作成
alt追加更新  2007年6月
(世界最古のコマは古代パビロニア?)
     
世界最古のコマ  現在残っている世界最古の独楽は、エジプトで発掘された左の絵のような独楽と云われています。紀元前2000年から紀元前1400年頃の独楽です。このように古くから独楽が存在していた事は驚きです。しかしよく考えてみると、我々が子供の時ドングリなどの木の実や貝類、石等を転がしたり、回したりして遊んでいたように、古代の子供達も同様に遊んでいたのではないでしょうか。このような遊びから独楽が発祥したと考えれば、独楽の歴史が4000年も遡るのは当然のことのように思われます。
世界最古の独楽
(エジプト)
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日本で発掘された最古の独楽は右の写真で示すように平安遷都の前にあたる藤原京跡(7世紀)から出土されたものといわれています。 日本最古の独楽
日本最古の独楽
(藤原京跡)→
日本各地で出土された独楽の一覧表
日本各地で出土された独楽の一覧表日本各地で出土された独楽の一覧表


1:
藤原京跡7世紀から出土した日本最古の独楽。地面につく先端を乳頭状に突出させたもの

2:
平安京から出土したもので上面に抉りをいれている。「叩き独楽・鞭独楽」と呼ばれている。

5、6、7、11:
千葉地遺跡出土のもので1,2とは時期差が多少ある。7,8世紀のものと異なり装飾が施されている。種類も叩き独楽の他「捻り独楽」も出土している。千葉地の4点の他12、18は心棒が差し込み式である。





独楽は江戸時代 17世紀になっても形態的には大きな変化はないが17世紀のものの上側面の削りは滑らかになり、文様を施す。





34,35:
金沢市の穴水遺跡、17世紀末の遺構から出土した土製の独楽である。
東京大学コレクションX 加賀殿再訪東京大学本郷キャンバスの遺跡  
出土した人形と玩具  安芸毬子
より  

右写真は最近神奈川県鎌倉市米町遺跡で発掘された
鎌倉時代(約700年前)の独楽

(径4.5cm、高さ2.9cm)


出典:2002発掘された日本列島「新 発見考古速報」
文化庁編(朝日新聞社)より
鎌倉時代の独楽
鎌倉時代の独楽

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 さて独楽の発祥地については諸説があります。
 1)エジプト説
 2)インド説
 3)中国説
 4)ベトナム、カンボジアなどの東南アジア説

 5)世界各地でそれぞれ独自の独楽が作られていたという自然発生説
などがあります。
1),2),3)の説は世界4大文明のうち、エジプト文明、インダス文明、黄河文明の誕生した地域です。他の一つメソポタミア文明は現在のイラクを中心とした地域です。この地域に独楽発祥地説があるのか否か知りません。しかし「文明のあるところに独楽あり」とするならば、世界4大文明の発祥した地域は無論、他の古代文明発祥地域にもそれぞれ独楽が存在していた、と考えられないのでしょうか。
 
このような観点から、私は自然発生説が有力ではないかと考えます。
 19世紀にはヨーロッパでさまざまな独楽が盛んに作られていました。

 
そして現在では、日本が世界一の独楽王国といわれています。

 現在残っている世界最古の独楽古代パビロニアの独楽?      
 2007年6月 追加更新 
 [物事のはじまり?]〈チャールズ・パナティ著、発行所フォーユー、発行者中村洋一郎)によると、「紀元前3000年には、古代パビロニアの子供達が、周囲に動物や人の模様を刻んだ土製のこまを回していた。これまでに発掘されたこまは、たくさんのビー玉と一緒に子供の墓から発見されている事から、子供の玩具だったと思われる。また知られている最古の玩具のこまは、どれもさまざまな模様が刻み込まれたり描かれたりしている。」と述べています。
 このことは現在残っている世界最古の独楽といわれているエジプトの独楽より更に1000年以上前の話です。
これが事実なら現存する世界最古の独楽ということになります。(発掘された独楽の絵か写真を手に入れたいものです。)
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※ 2007年6月東京・本郷の東大博物館で開催された「遺丘と女神〜メソポタミア原始農村の黎明」展に、シリアで出土された約9000年前の女神のほほえみの土偶右の写真:高さ約15cm)が展示されました。髪の毛やまゆ毛は黒く塗られ、目や唇の周りには赤い「化粧」が施されています。このような土偶を9000年前に作っていたメソポタミア文明です。この同じ文明地域で、5000年前に周囲に動物や人の模様を刻んだ土製のこまが存在していても不思議ではないと考える。 

 メソポタミア文明最古の担い手であった
古代パビロニア(現在のイラク地域)で独楽が発掘されていたということは、世界4大文明の全てに独楽が存在したことになります。

alt日本の独楽の歴史についてひもといてみると「こま」の由来は「高麗(こま)(朝鮮)」に通じ、中国から朝鮮を経由して渡来してきたのが始まりというのが通説です。しかし、本当に朝鮮から渡来したことによって日本の独楽の歴史は始まったのでしょうか。
 倭名抄の表紙このホームページの「こまの歴史」に引用した中田幸平も述べているように、日本で「こま」という名が残っている最も古い文献は「和名抄(わみょうしょう)」です。和名抄は「和名類聚抄」の略です。これは平安の中期、931〜938年にかけて編纂された和漢辞典で、分類した漢字の和名を万葉仮名で注釈したものです。その中で「独楽」の項目は鞠や双六と同じ「雑芸具」に分類され、「古末都玖利(こまつぐり)」と記されています。和名抄の「独楽」には「孔があいている」という解説がある事から、今でいう「鳴り独楽」のように空洞が空いているコマが朝鮮から伝来したものと思われます。また、和名抄の分類を見ると独楽は雑芸具(遊具)の部に入っています。遊具であれば宮廷人の中に止まるはずがありません。このことからしても、独楽はいろいろな形で庶民の中へ広まっていったと推測されます

日本・朝鮮・中国の歴史の対照と独楽関連の歴史

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独楽関連記事
紀元前2000〜3500
三内丸山遺跡

紀元前1400〜2000
世界最古のコマ
    
(エジプト)


3世紀中頃
邪馬台国
(やまたいこく)

高句麗
 高麗(こま)とも呼ぶ


7世紀
日本最古の独楽


931〜938
和名抄編纂

高麗(こうらい)
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日本のコマの起源について話をもどしましょう。
中田幸平は『和名抄(わみょうしょう)』に記されている「古末都玖利(こまつぐり)」について、古末(こま)は他に「高麗(こま)」とも書かれ、これは中国から高麗(こま)を経て、日本に伝わったことからつけられた。また「都玖利(つぐり)」とは、こま本来の呼び名で、ツグムリともツグリともいわれ、円を意味している。ツブラにも通じている。と述べられています。
 この文章で都玖利(つぐり)とは、「こま本来の呼び名」と記されている。この「こま本来の呼び名」とは、高麗(こま)から渡来してきた「こま」そのものの呼び名が都玖利(つぐリ)という意味にも解釈できるが、そうではなく、高麗から渡来する以前に日本に存在していたと思われる「こま」の呼び名が都玖利(つぐり)であったと解釈すべきです。即ち「古末都玖利(こまつぐり)」とは、高麗(こま)から渡来してきた都玖利(つぐり)ということです。(ちなみに朝鮮では独楽のことをペンイと呼ぶ)。このように解釈すると

「中国から高麗(こま)を経て渡来する以前に、既に日本にはツグリ、ツグムリ等と呼ばれる独楽の類の玩具が存在していた」ということになります。
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元来、日本には古代に中国・朝鮮から移り住んだ人々(渡来人)がいました。古くは、弥生時代に渡来人の第一波があり、渡来人との混血化によって生まれたといわれている大陸系弥生人がいました。これらの渡来人が大陸から独楽を持って来た、或いは独楽を作る知識を持ってきた可能性があります。 何しろ古い歴史を持つ独楽の話ですから。この人々の作ったものがコマツグリ、コマツグムリなどと呼ばれるようになったことも考えられます。しかし、これよりさらに古い時代の日本にツグリ、ツグムリが存在していた可能性があるように思えるのです。 大陸系弥生人に対して、縄文人が混血化をせず狩猟社会から農耕社会へ変化した縄文系弥生人がいます。この人々やそれ以前の縄文人はコマに対する大陸の影響を受ける機会が少なかったものと思われます。以下の話は、この時代にさかのぼっての古い話です。
alt 皆さんは子供の時、ドングリに棒を刺して独楽のように回して遊んだ記憶はありませんか。このように独楽の原理は円いものを回して遊ぶと云う単純なものです。こんなに単純な玩具が大陸から渡来するまで日本では作られなかったと考える事自体が不自然ではないでしょうか。弥生時代(紀元前4世紀半〜紀元3世紀半)の初期は無論、縄文時代にすでに日本でも木の実や貝類、石器、土器等を工夫して、或いは木を削った独自の玩具(独楽)を作っていたと考えた方が自然ではないでしょうか。

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 青森県三内丸山遺跡は紀元前3500年頃〜紀元前2000年頃の縄文前期中頃から中期末にかけての遺跡です。
 
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復元された巨大6本柱
クリの木柱の直径は1m, 高さは14.7m。重さは1本で8トンもある。3本ずつ2列に並び、柱の間隔は4.2m。そして内側に正確に2度傾いている。
この遺跡には、長軸30メートル以上の巨大な建築物の跡が残されています。また直径約1メートルのクリの木柱の一部が残っています。柱の高さ14.7メートルと推定されています。このような大木を使っての巨大建造物を作るには
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木製の赤色の復元漆器
出土した漆器の情報をもとに製作した再現品。
専門的な建築・土木技術を持っていなければできない事です。また、この遺跡からは土偶や土器のほかに漆工芸品も発掘されています。右の写真のような直径25cm,厚さ5mmの赤や黒の色漆を塗った木製の椀も発掘されています。赤や黒の色漆を作りだす鉱物性の顔料を精製する技法をすでに習得していたということです。我々が想像している以上に、縄文人は色々な分野で専門的な知識を持っていたという事です。 
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 以上のようなことから、縄文中期頃の人達はすでにツグリ、ツグムリなどの玩具を作る技術も遊び心も持っていたと考えたいのです。即ち縄文時代にはすでに日本でも木の実や貝類、石器、土器等を工夫して、或いは木を削った独自の玩具(ツグリ)を作っていたと推測します。
このように考えると日本もまた独楽発祥の地と云うことになります。

その後、時代の経過と共に、ツグリ、ツグムリ等と呼ばれていた日本独自の玩具は、渡来してきた完成度の高いコマツグリ・コマツグムリ等と呼ばれた「こま」に感化され、吸収されて、いつの間にか独楽という言葉に統一されたものと考えます。

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中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記されている邪馬台国(やまたいこく:3世紀中頃)は、現在なお所在不明の謎の国ですが、いずれはその存在場所が解明されるでしょう。その際、その遺跡からこまが発掘されるなどという夢のような話が実現する可能性があります。そこで発掘された「こま」が渡来したものか、日本独自のものか、その当時ツグリ、ツグムリと呼ばれていたのか或いは古末都玖利(こまつぐり)等と呼ばれていたのか、また女王卑弥呼(ひみこ)が遊び道具、飾り物、占い等に使っていたのか、または庶民の遊び道具だったのか等等、想像するだけでゾクゾクします。更に遡って、三内丸山遺跡から赤や黒の漆塗りの独楽発見などとなれば、世界最古といわれているエジプトの独楽よりさらに古い独楽ということになります。そんな期待もしたくなります。     
 
たかが独楽、されど独楽。独楽には夢があります。

参考
alt 高句麗(こうくり)と高麗(こま)と高麗(こうらい alt
高句麗(こうくり)とは
 紀元前1世紀後半から紀元668年にさかえた新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)三国時代の古代朝鮮の王朝で、朝鮮半島の北部から中部にかけて支配した。高麗(こま)、句麗(こま)、狛(こま)、貊(はく)などと書く場合もある。即ち高麗(こま)とは高句麗(こうくり)のことです。
紀元595年に高句麗より渡来して聖徳太子に仏教をさずけた僧の慧慈(えじ)に代表されるように、高句麗と当時の日本との間には文化的な交流が盛んにおこなわれていた。高松塚古墳の壁画にも、高句麗の壁画古墳の影響がみられる


高麗(こうらい)とは
 紀元9181392年に朝鮮半島を支配した王朝。英語のKoreaは高麗(こうらい)の朝鮮語音コリョがなまったものです。
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このように高麗(こま)と高麗(こうらい)は全く別の時代です。 高句麗の地図

 
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